インバウンド

EIMONの楽苦我記

李英門のビジネス活動の記録です。

〜ブログ300回連続投稿記念〜  粋な計らいをしてくれた大人の話

ブログもついに300回。

この節目に、
私のビジネスの原点とも言えるエピソードを綴っておきたい。

私はこれまでのキャリアで、多くの社内外の方々、
そしてお客様にお世話になってきた。

感謝です。

その中でも、人生を変えてくれた「一番の恩人」を挙げるとすれば、
内田雅敏さんの名前を置いて他にない。

当時、私は「トラベルリテール業界」の開拓に心血を注いでいた。

その頃のわが社はスポーツ通訳がメイン。

しかし世の中は、
当時の小泉総理が旗振り役となった「ビジット・ジャパン・キャンペーン」の真っ只中だった。

業界内では「VJC」と呼ばれていたが、「インバウンド」という言葉すらまだ浸透していない時代。

日本に来る外国人は必ず空港を使用する。
そして、免税店で買い物をする。

そこに外国語を話す販売員を置けば、きっと売れる!

私は成田空港の免税店、テナント、メーカーへ、文字通り片っ端からアプローチを続けていた。

毎日、テレアポや飛び込み営業を繰り返した。

そんな中、ついに掴み取ったのが、
成田空港子会社である株式会社NAAリテイリング社との商談。

最大の免税店運営会社である。

テレアポだった。

その窓口となられたのが、
当時総務部長を務めていた内田さんだった。

電話をした数日後に
念願の面談の機会をいただき、
私は成田空港へと向かった。

だが、そこで「事件」は起きた。

待ち合せは「千葉日報と言う本屋の前に14時」。



そう聞いただけで、私は勝手に思い込んでいた。

半年前に新婚旅行で利用したのが
第2ターミナルだったからという、
ただそれだけの理由で、
疑いもせず第2ターミナルへ降り立ったのだ。

成田空港第2ターミナル外観

しかし、
どこを探しても「千葉日報」という本屋が見当たらない。

刻一刻と迫る約束の時間。

やっとの思いでこじ開けたアポイントだ。

遅刻など論外、
会えずに帰るなど絶対にあってはならない。

必死に探し回り、警備員に尋ねた。

「それ、第1ターミナルの北ウイングですよ」

絶望に近い衝撃だった。

私は猛然とタクシーに乗り込み、
「第1ターミナルの北ウイングまで!」と叫んだ。

「……本当に?」

運転手さんは驚愕していた。

ターミナル間の移動でタクシーを使う客など、
後にも先にも私一人だったかもしれない。

事情を察した運転手さんは、
千葉日報に最も近い乗降口へ車を滑らせてくれた。

成田空港第1ターミナル 北ウイング


息を切らし、汗だくになりながら、
どうにか時間内に待ち合わせ場所へ。

広いターミナル内。

定刻。

深く深呼吸、背筋を伸ばし、
現れるであろう「部長」を待った。

しかし、
3分、5分経っても、
それらしき人は現れない。

「場所を間違えたのか?」

不安が頭をよぎる。

「そもそもアポなんてなかったのか?」

私は居ても立ってもいられず、
先方のオフィスへ電話を入れた。

なんと、
内田さんはまだオフィスにいた。

理由はシンプルだった。

約束を忘れられていたのだ。

後日談によれば、
当時はあまりに多くの取引先との商談が重なり、
新参者の私との約束が手帳の隙間に埋もれてしまっていたという。

ほどなくして、 
待ち合わせ場所に一人の紳士が現れた。

オールバックでシュッとした高身長。

縦ストライプの茶系スーツ。

その風貌はまさに「大人の男」そのものだった。

今も忘れられない。

その後のミーティングで事業への想いを伝えると、
内田さんはその場でオーダーをくださった。

その細かなやり取りはまた別の機会に譲るが、
この瞬間、
私たちはトラベルリテール業界という大空への切符を手にしたのだ。

この出会いから10年後。

わが社は、
通訳販売スタッフ数500名を抱え、
トラベルリテール業界のトップを走る企業へと成長を遂げることができた。

それは今も続いている。


あの時、
もし内田さんと出会っていなかったら。

今の私はなかったかもしれない。

泥臭く汗をかき、
這いつくばって掴んだチャンス。

「粋な計らい」

退任されるまでの長い間、
空港のことやビジネスのことを知らない私を受け止めてくれた恩人、
内田さん。

心から感謝です。


この後も私への「粋な計らい」は続いた。
つづく


李 英門